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悲伝ネタバレします。

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6/6の夜公演・明治座千秋楽での感想です。
殺陣は進化します。また、公演初期では発展途上の場合もあり、京都→福岡→東京(凱旋)にむけ、完成度が上がったり、手数や演出が増えていきます。

そのため、個人的には、東京(初期)での殺陣で判断するのはまだ早いかなと(どの舞台でも)思っております。ふんわり目安に…という気持ちで、読み流して頂けたら幸いです。

イラストつきの殺陣レポを描くときは、明治座と京都の両方を取り入れる予定です。
このページは、印象が変わったり、何か思いつきしだい修正します。

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★マーク
京都(6/27夜公演)の観劇後に追記した箇所。

★★マーク
京都(7/1夜公演)の観劇後に追記した箇所。








●ご注意
今までは刀剣男士がソロで殺陣をしてくれましたが、今回は二人セットが多いです。(ソロもあるけれど)
また全体的に殺陣自体が少なくなっているような印象です。
シナリオが長いので(演者さんの健康や、観客さんの終電(汗)に気を遣っての)尺の都合だと思います。
そのため「誰を見よう!?」となって迷っているうちに殺陣が終わるので、明確に推しキャラのいる方は、そちらに絞るのも手です。

真剣必殺もそれなりに出てきます。が、いつものようにドーンと見栄を切るのではなく、戦いの中でしれっと出てくるので、気づくのが遅くなるかも知れません。


●三日月
開幕直後→心の無い無機質な殺陣(ただし、凄みだけはダントツ)
終盤(真っ白な三日月)→相手を思う温かい血の通った殺陣
雰囲気がぜんぜん違うのでご覧あれ!無機質な殺陣は、虚伝や義伝ともまた違います。

型はだいたいいつもどおりの日舞を取り入れた動きです(イラスト入りの殺陣レポで解説しています→https://twitter.com/i/moments/784344006238932994)。
が、刀を振る間のすり足(日舞や歌舞伎の動き)、足を舞台に打ち付ける動き(これも同様)にも磨きがかかり、メリハリが強くついています。この動き、今までアバウトだったので、あえて殺陣レポには入れていなかった要素ですが、演出だと今回で確信。
白い三日月は、日舞「浦島」を彷彿とさせました。

※演者さん御本人は、三日月の動きに「神楽」を取り入れたとおっしゃっているようです(カテゴリとして、細かく説明すると多岐に渡ってしまうのですが、ここでは一旦ひとまとめで解説しています)。

終演後、いつもの独特のお辞儀とは違う所作のお辞儀が複数見られる。結構驚く。
★お辞儀の型ですが、京都公演では明治座とまた変わってたよ!
(もしかして、再顕現を繰り返している三日月、という意味かも?と深読み。義伝まではお辞儀の型は決まっていたので、繰り返しても同じお辞儀でした)。

★京都公演だと「足を舞台に打ち付ける動き」が目立たなくなっています。
これ、歌舞伎の所作なんですが、明治座はやはり歌舞伎の公演を前提にした舞台の構造なのでしょう、「演者が足を打ち付けると、舞台がバン!と鳴る仕様」なんです。
バン!と音を出すことで見せ場として完成するので、歌舞伎では重要なんです。
京都劇場は歌舞伎用ではないためバン!と鳴らない。

つまり、「三日月宗近の殺陣」は恐ろしいことに、歌舞伎用の「舞台」までも取り入れてこそ完成するという、とんでもなく日本の伝統芸能にのっとっていた…と、背筋の震える思いです。

先の文章で「(足を打ち付ける所作が)今までアバウトだったので、あえて殺陣レポには入れていなかった」と書きましたが、演者さんがアバウトだったのではなく、舞台装置が「三日月向けではなかった」が正しいようです。
明治座を使うことで、ようやく「舞台が三日月に追いついた」のです。…すごいよ…すごいよ鈴木さん(´;ω;`)ブワッ

★また、昔描いた殺陣レポを見返したんですが、

こちら、虚伝(初演)のカテコの剣舞を解説した箇所です。
驚いたことに「奉納舞い(=神楽です)」「円環」という単語を使っていました。
三日月の動きに神楽を取り入れられていたことが、虚伝の時点で私に伝わっていたようです。
円環は偶然かも知れませんが、こんな漠然とした概念を、動きだけで一観客に伝えるなんて、並大抵のことではありません…!
マジですごいよ鈴木拡樹さん(´;ω;`)ブワッ(大事なことなので2回)

★★虚伝のときに比べて、圧倒的に手数とスピードが増しました。
虚伝初演の頃の「太刀らしいゆったりした振り方&稲妻のように迅い振り方」を区別して披露してくれる三日月の殺陣はとても好きでしたが、義伝以降、これは見られません。
義伝から殺陣師さんが変わられましたが、三日月は迅く手数の多いかたちに定着しつつあります。
邪推ですが、「手数が多い・疾い・それでいて重い」殺陣を鈴木さんが出来てしまうために、「殺陣のうえでも<広告塔>、刀ステは殺陣も凄いんだぜ!とPRするためのポジション」を担わされておられる感じがします。
(殺陣師さんご自身も、派手で華やかになるように、手数多めに入れようとされるタイプかと思います)

個人的には、虚伝初演のころの「ゆったりしたおじいちゃんらしい殺陣」もまた見たいんやで(*´///`*)
「疾いから強そうに見える殺陣」より「遅いのに強そうに見える殺陣」の方が<安っぽく見せないという観点からは>すごく難しいです。それが虚伝初演では拝見できるので、貴重だと思います(円盤ステマ)。


●鶴丸
衣装の素材が軽くなった模様。翻る袖が軽やかで美しい。
荒ぶるフードがよく頭にかぶさる。→ここからの、フードを「どうやって外すか」も見どころ。スムーズな演者さんのアドリブ対応を満喫しよう!
わざわざこれを書くのは、鶴丸のフードさばきは一瞬で終わる!まばたきする余裕もない!ときがあるから(笑)。ゆっくりいじってるときもあるよ!
三日月同様、殺陣の型はだいたいいつもどおりですが、こちらもメリハリや丁寧さが増し、「鶴丸の型」がよりわかりやすくなりました。

★全体的に重心が下がってきた感。
アニメ活撃の鶴丸(軽いくせに重いという、鳥&太刀の特性を見事に表現しきったと思っています)に近づいて来たような感じがします。
もともと刀ステ→活撃へ影響していた殺陣が、逆輸入されて高めあってるような感じ。

★★フード先輩ですが、どうも袖の丈の長さや、布の重さから推測すると、明治座公演と京都公演では違う衣装を着ておられるような感じです。
明治座(公式PV動画もあって、荒ぶるフードが収録されています)では最も布が軽く袖もフードも荒ぶりますが、京都だと袖だけ荒ぶるタイプ、袖もフードも荒ぶらないタイプ(最も背中の丈が短い)という感じです。

★鞘を顔の前にクイっと立てる動作が多用されるようになった。あれ、小粋ですよね!
全体的に男らしさがUPしてきた気がします。雄みというか…格好いいです。

★★顔の前で鞘と柄を交差するような構えが定着してきました。
虚伝の頃に比べて、構えの位置が上がっていますね。


●山姥切
悲伝に限ったことではないですが(まだ私の殺陣レポで描けていないポイントなのでこちらで)、
刀をふる殺陣と同時並行で、「マントをあしらう所作」を披露します。
刀を振り、鞘を振り、マントを(ひらみがきれいに見えるように)調整しながら翻すという、いわば「武器を3つ同時に」扱うレベルの動きがまんばちゃんの凄さ。
マントをあしらう手だけ独立して動いたりするのでご注目。

また、手術→リハビリ復帰後まもない舞台です。怪我をされていたなんて思えない見事な殺陣は圧巻。
無事にご復帰されて本当に良かったです。

★彼はたぶんストーリー上で殺陣が<成長していく>キャラだと解釈しています。
さすが刀ステ主人公枠といったところでしょうか。
他に殺陣が成長するキャラは不動(虚伝)・鵺(悲伝)。いずれも登場時はたどたどしい動きが、クライマックスに近づくにつれどんどん上達する振り付けになっています。
(極の成長はまた別枠の演出になるので、ここでは除外)

山姥切は全シリーズ通して見ると興味深いのですが、鞘使いに成長度合いが現れていると思っています。
時系列順に…

 ジョ伝(過去)→鞘をまだ使えない
 虚伝初演→切羽詰ったとき(紅白戦)のみ鞘で応戦(主に防御)
 義伝&ジョ伝(現在)→アグレッシブに鞘を使う(もりもり攻撃)

悲伝でも鞘でドカドカ攻撃しますが、円環の果てに到達したとき鞘が無い。真剣必殺の公式絵では鞘があるにもかかわらず。
私の中では、山姥切の鞘は彼の気持ちの「吹っ切れ感」や「強さ」の表れのように受け止めているので、鞘がないのはどうにも強さが削がれたというか、
円環の果てで、本気を出せていない・吹っ切れていない、そんなふうに見えました。

★京都だとちょっと舞台が狭いのかな、マントのひらみは明治座や大阪(ジョ伝)の方が、窮屈さがなくてよく見えました。


●小烏丸
道化師のような、女形のような、はたまたジャック・スパロウのような、一昔前の時代劇の公家か女性めいた典雅な動きが面白い。
指先まで気をつかった、たおやかな動きは必見。

鳥を表現する要素として、鶴丸は「回転飛び」、小烏丸は「垂直跳び」で差別化。
また、太刀どうしでは、鶴丸と小烏丸が「軽い」、大包平と鶯丸が「重い」殺陣。

※ところで鶯丸の鳥要素はどこかにあっただろうか…?


●歌仙
演者さん自身も言及されていましたが、「斬る」というより「殴る」殺陣。
もともと日本刀は「流れに任せて斬る」ものと、「重量で殴る」ものという考えもあるので、後者の要素が強い殺陣。
刀ステは一作に一人、「基本となる殺陣」担当の刀がいると思っています。
 虚伝→長谷部(斬る)
 義伝→歌仙(殴る)
これがそのまま新作へと定着している感じがします。
基本の殺陣というのは、お茶の間の時代劇で馴染みのある王道に近い殺陣。
これを入れることにより、他のキャラの「個性的な殺陣」を、さらに引き立てる効果があります。


●骨喰
虚伝(燃ゆる本能寺)初演時の一期一振の殺陣が基盤になってそうな動き。
ジョ伝よりロイヤル感が上がった気がします。
記憶はないが、体が兄弟を覚えているような、この演出が好きです。
(近い兄弟でも鯰尾の動きとは全然違い、一期一振のほうに近い)


●大包平
★荒々しい言動とは裏腹に、素直でおおらかな殺陣。
根っこの(意外に生真面目な)性格が表れているように感じる。
※重心の判断は保留。恐らく重い殺陣を目指していらっしゃるのではないかと思われます。


●鶯丸
★手首で返すとか、絡め取るなどの軽やかな殺陣が多め。
※鶴丸からこの動きが減ったように思うのですが、演出上、殺陣を差別化するために、鶯丸の方に「割り当て」られたのかなと、メタなことを考えました。

★★大包平も鶯丸も回を重ねるごとにどんどん上達しておられるので、東京凱旋公演が楽しみです。


●鵺と呼ばれる
足利義輝所有の刀の殺陣を、(あくまで個人的解釈です→)順次コピーしていくキメラ刀。
終盤で、三日月のセリフを真似ることによって種明かしされるが、セリフを聞く前からどんどん三日月の殺陣に似ていくのでご注目。

※コピーというのは「彼が形成される(生まれる)もとになった、足利義輝の刀全般のクセが、無意識に発露している」という意味です。
刀剣男士とのバトル中に学んだのとは違うというか、学んではいるんですが、もとから持っていた足利刀の要素が随時浮き上がってきているような気がします。
三日月の型も、意図的に真似たのではなく、無意識に発露したものが、だんだん(本当に三日月を見て)学んで固まっていった、と思っています。

※個人的な勝手な解釈ですが、恐らく他の足利刀(骨喰、鶯丸、大般若、大包平あたり?)の殺陣もコピーしているような気がします。一度見ただけではよく確認できなかったので、次回の公演で観察したいです。
三日月をコピーしているのは確定ですし、三日月の殺陣を見慣れている方ならすぐに気づくと思うレベルです。

★足利義輝から「時鳥」と命名されるまでは、セリフで「かたな」と発音するときに必ずドモります。
彼は「義輝を守りたいという思念の集合体」のような形で生まれたため、誕生時は自分のことを「かたな」だとあまり感じていないのかもしれません。
それゆえに「鵺と呼ばれる」という中途半端なキャラクター名であり、「鵺と呼ばれる<刀>」とは書かれなかったのでしょう。

★★一幕の序盤が獣のような動きになっています。
「鵺」という呼ばれ方が定着する前なので、なぜあの動きなんだろう?

ДЕД
悲伝を見て、刀ミュつはものと、三日月の設定が同じように思えました。

・一人だけ事情を知っている&周囲に事情を言えない。
・一人だけタイムリープを繰り返している。
・歴史を修正するということに意味があるのか悩んでいる。

勝手な推理ですが、プロデューサーか原作者か、とにかく大もとの公式さんから刀ステと刀ミュに言い渡された「三日月の設定」は同じではないかと感じました。

個人的には刀剣乱舞って、(初期刀は特別ですが)明確な主人公のないゲームだと思っています。
それぞれの審神者がお気に入りの刀を主人公にして楽しむものだと。
なので、もともと特定の刀を特別扱いするのは不自然かな、くらいに思っていました。
(私は三日月推しですが! 三日月が広告塔になっていることも承知ですが!)

でも、悲伝やつはものが、まさに「三日月でなければ描けない話」だとしたら?


三日月って、つまり、「円にならない月」ですよね。

そして、刀紋のデザイン。


・三日月なのに、なぜかほとんど円という形。
・その円が2重になっている。
・そして、その円を途切れさせる<点>があるデザイン。この点は、2重円の両方をまたぐような位置にある。

二重の円が「何度も繰り返す円環の象徴」だとしたら?
この点が「特異点」だとしたら?


本来の太刀・三日月宗近の打ち除けとは「2重」になっているので、刀紋が2重になっているのは、たんにそのためかも知れないのですが…。

もしかして、最初から三日月宗近は「円環を成す一振り」もしくは「円環を壊す一振り」として設定されていたのか?と、思い当たって震えました…。

悲伝のパンフで、三日月役の鈴木さんが「今作の注目ポイントは顕現台詞の意味」とおっしゃっているのですが、

「三日月宗近。打ち除けが多い故、三日月と呼ばれる。よろしくたのむ」

この打ち除けの数だけ、タイムリープを繰り返す宿命なの…?

なぜならこの台詞、本来は「打ち除けの形が似ている故、三日月と呼ばれる」が正しくて、「打ち除けの数が多い故、三日月と呼ばれる」では不自然に感じるんですよね。
深読みしすぎ?
それとも刀とはそういう表現をするものなのかな?


ЕЩЕ
★義伝からの伏線 

義伝で三日月の異変に気づいているようだった鶴丸。 
そして、この名台詞「天よりも驚かせたい物がある。…あんただ」 

悲伝を見るまでは何となくふんわり「この本丸で最年長の三日月にしかわからない苦労を、同世代で同郷で師弟筋の俺も受け止めるし、ときには甘えてくれ」という意味に解釈してました。 
悲伝を見て、この解釈が正しく、またさらに深い意味があると確信しました。 

しかも、このときの三日月の返事は 
「俺を本当に驚かせるのは骨が折れるぞ」 

普段の三日月ならば、「はっはっは」と笑って軽やかにのほほんと受け流したと思うのですが、この返事の際、非常に険しい表情になるのです。 

義伝を初見のとき、こんなにきつく言い返す必要があるのかな?と非常にひっかかりました。 

つまり―― 

悲伝の三日月は「何度も同じ歴史を繰り返している」ために、もう「驚こうとしても、驚けない心」、つまり「心が死んでいる」状態になっている。 

「予想しうる出来事ばかりじゃ、心が先に死んでいく」 

なんという意味深な鶴丸の決め台詞でしょうか。 
さらに義伝では、三日月もこの台詞を真似っこして喋っている。あのときの三日月の心中はいかほどだったのか。 

最初からの公式設定なのか、後付け設定なのかわかりませんが、この鶴丸のセリフに、悲伝の三日月の状態をオーバーラップさせた末満さんに最大のエールをお贈りしたいです。 

三日月に何が起きているのか、鶴丸には明確にはわからない。だが、確実になにか異変が起きているのはわかる。 
だからこそ、鶴丸は三日月を「天よりも」、つまりこの世界の何よりも「驚かせたい」 
――つまり、三日月の「心を取り戻したい」と望んだのでしょう。 



★悲伝での鶴丸の立ち回り 

傍観者っぽく描かれている鶴丸ですが、「義伝でなんとなく三日月の異変に気づいているっぽい」鶴丸が、何も動いていないわけはないのです。 

傍観者というか、「誰とでも一定の距離感を保とうとする鶴丸」「見守っていはいるけど、必要以上に踏み込まない」というスタンスは、いかにも「流転の刀」らしく私も好きだし、鶴丸の魅力の一つだと思っています。 
それはそれで美味しいです(*´///`*) 

とはいえ、それで結論付けるとせっかくの伏線が台無しなのと、なんといっても「鶴丸にもう少しかまって&活躍してほしい」なんて思いませんか?(笑) 
個人的には鶴丸は、普段どれだけ飄々としていようとも、やはり仲間の危機には命を賭けてくれる武士(もののふ)だと思っています。 

ですので、 
「傍観していた」のではなく 
「傍観せざるを得なかった」と解釈してみましょう。 

まず第一に、三日月が燭台切を斬って鵺と行動をともにし、本丸の皆を裏切ったとき、本丸の誰もがうなだれたり迷っていた中、いち早く「三日月を追いかけよう」といい出したのは、鶯丸と鶴丸なんです。 

真っ先に行動を促した鶴丸が、傍観者のはずがない。 
出来れば三日月の行動理由を理解し、見守り、連れ戻せるなら連れ戻そう…くらいの気持ちでいたと思います。 

鶯丸が山姥切に進言しているため印象が薄まっていますが、もしかすると鶴丸の方が先に「三日月を追いかけよう」と言い出した可能性は大いにあります。 
その上で、鶴丸は「隊長になることを選ばなかった(鶯丸にゆずった)」のかも知れません。 
部隊に大包平がいるので、鶯丸が隊長の方がなにかと穏便という理由もありますが、もうひとつ理由を考えてみます。 

それはなぜか?(後述) 



★三日月と鶴丸の日常 

本丸で長い間、最年長であった三日月、そして、タイムリープを繰り返している三日月は、一人で沢山の悩みを抱え込んでいました。 
同世代であり、同郷であり、師弟筋の鶴丸は、三日月のよき友でよき理解者であろうとした。出来れば、甘えてほしいし、相談にも乗りたい。 

三日月は自ら多くを語らないタイプですが、日々を暮らす内に「円環を断ち切るきっかけになりそうなイレギュラー事件」はしばしばあったと思います。 
そのたびに期待し、でも、断ち切れずに<徒労>に終わる。 
気持ちは疲弊し、その日は(親しい者にしかわからない、ごく微小なサインだけれど)妙に荒れたりナーバスになったり、ということはあったと思います。 

たぶん鶴丸は、そういう三日月の機微を見抜いていた。 
大人の対応でわざわざ問い詰めはしなかった(問うくらいはするけど、適度に引き下がった)けど、さりげなく茶や酒を勧めたり、驚きの与太話をしたり、万屋に買い物に誘ったり…その日その日で慰めたり気分転換をさせたりフォローをしていたと思います。 

(活撃の鶴丸だってフォロー上手でしたからね!) 



★義伝&悲伝の黒甲冑との戦い 

さて、悲伝で再登場する黒甲冑。 
間違いなく義伝で鶴丸達が倒した物と同一であると断言されています。 

義伝でキーになった鶴丸の「天よりも驚かせたい物がある」ですが、 
義伝で黒甲冑に鶴丸がとりこまれた際、三日月は間違いなく「驚いて」います。 
黒鶴丸を見て「これには俺も驚いた」と言った三日月のセリフが、「未来を知っている者の演技」にはどうしても見えませんでした。 

鵺と呼ばれたアレは、三日月から見れば「繰り返された予定調和の中にはない、イレギュラーな存在」です。それゆえに「面白い(=興味深い)」と言う。 
もしかすると、こういう鵺のような存在が、この繰り返される円環を断ち切る一助になるのではないか…と考えたのでしょう。 

つまり、三日月すらも驚いた「黒鶴丸」という存在は、まさしく「鵺」と同じなんです。 
(どちらも漢字の<鳥>が入るのもまた良いですね) 
三日月は「おや、これは予想になかったモノだ。もしかするとこの黒い鶴丸は、円環を断ち切るきっかけになるかもしれない」と、うっすら思ったかも知れません。 


その後、三日月や伊達の刀たちは、黒甲冑を倒すわけですが―― 
ここで「鶴丸を取り戻している」ことにご注目下さい。 

鶴丸は黒甲冑に対して「お前の想いはすべて俺が持っていってやる」というようなことを言っていました。 
これって、鶴丸が黒甲冑に取り込まれたまま、もろともに倒され消滅するような未来を想定したような言い回しではないですか? 

しかし、鶴丸は生き残り、黒甲冑だけが滅んだ(と思われていた)。 
だが、結果的に悲伝で復活した黒甲冑。そして、円環は繰り返す…。 

これって、もしかして「鶴丸が黒甲冑と一緒に滅んでいたら、両者ともに滅んだままだったんじゃないか?」と考えました。 
ここであえて「鶴丸を犠牲にしていたら」、「円環を断ち切るきっかけになった」のに、「そうしなかった」 

事情を知らない本丸の皆はもちろん鶴丸を助けようとするでしょう。 
三日月も結局(悲伝で燭台切に手加減をしたり、山姥切にとどめを刺さなかったことを考えると)、仲間を傷つけたり苦労を背負わせることは避けたいと思っているでしょう。 

そう、三日月から見れば「事情を知りながら、結局俺は鶴丸を救ってしまった」と、罪を犯したに近い気持ちになったのでは? 

義伝で満身創痍の黒鶴丸を抱きとめたとき、嘆息したように天を仰ぐ三日月。 
安堵とともに、諦観をしたのかもしれません。 


さて、鶴丸の視点です。 
鶴丸は生き残って大団円のはずなのに、三日月が前述の『★三日月と鶴丸の日常』のような、微妙な荒れ方をしていたら? 

鶴丸は観察力もあれば聡い刀なので、もちろん気づきます。 
何か「三日月にとって良くないことが起こった」と。 
タイミング的に間違いなく黒甲冑・黒鶴丸がらみだ、と。 

「いつも気にかけている三日月の異変、それを引き起こす一端に、自分もなってしまったのか?」と考えるに至った鶴丸。 

こうなってしまうと、悲伝では鶴丸は、おいそれと三日月に手出しができません。 
自分が率先して動くことで、三日月を追い詰めることになるかもしれない。 

結果、鶴丸は一歩ひいて、三日月を「見守る」という選択肢になってしまったのでは、と思いました。 
(隊長を鶯丸に譲った理由のひとつもこれです) 

なんと切ない……(´;ω;`) 



★今後 
非常にメタなことを書くと、ジョ伝のパンフによれば「山姥切を主人公にして下さい」とプロデューサーからのオファーがあったようなので、ここは動かしようがなく、まんばちゃんが今後もキーパーソンになるとは思いますが… 

出来れば、鶴丸の「三日月の異変に気づいているっぽい」伏線が前向きに(目立つように)回収され、真の意味で「三日月を助ける」役目を、鶴丸にも(そして、本丸の皆にも)担ってほしいと、強く強く願います。 
山姥切が頑張るのもとても格好いいけれど、やっぱり本丸や大切な仲間の危機なので、皆で一緒に乗り越えて欲しい。 
それこそが「一人で何でも背負おうとした三日月」と対極になるのであり、救いになるのではないかなと思います。 

非伝のパンフを読むと、末満さんや鈴木さんが「ここがスタート地点」みたいなことをおっしゃっているので、まだ終わらない…と思って良いかな? 
そうであってほしいですm(_ _)m 

何と言っても、三日月宗近の真剣必殺を私達はまだ見ていない。 

あんな状態になっても、三日月はまだ本気を出していないんだぞ!!!


★今作の三日月 

先に書いておきますが、 

三日月が刀解されます。 
この「戦場で折れることを許されない感」がとても切ない。 
切腹を許されずに、斬首されたかのような措置じゃないですか。 

三日月の姿が真っ白になります。私の頭も真っ白になったよ! 
(手前味噌で恐縮ですが、うすい本で真っ白な三日月を描いたばかりでした(^^; 
ちなみに、三日月が何度も時間転移をして時空の歪みを引き起こし、政府から刀解命令が下り、三日月が目的のために逃げだす…っていうくだりまで一緒でした。 
すごい偶然ですけど、せっかくなのでステマさせて下さい!) 

審神者から離れると、刀解の儀式の効力が届かないらしい。 
距離なのか、時間的なものかは不明。 



★三日月の設定 

刀ミュ「つはもの」と同じように感じました。 
勝手な推理ですが、プロデューサーか原作者か、とにかく大もとの公式さんから刀ステと刀ミュに言い渡された「三日月の設定」は同じではないかという印象を持ちました。 

・一人だけ事情を知っている&周囲に事情を言えない。 
・一人だけタイムリープを繰り返している。 
・歴史を修正するということに意味があるのか悩んでいる。 



★上記より推測される設定(かなり個人の解釈です)↓ 

・三日月は、政府に対して不信感を持っている。 
・それゆえに(仲間の刀剣男士を守るため)ハッキリとした事情が言えない。 

三日月の持つ不信感の内容とは… 
政府は本当に「歴史を修正すること」を目的としているのか? 
他に目的があるのではないか? 

表向きは「歴史を正そう」と言いながら、 
例えば――実は「刀剣男士と敵が戦うことによって生まれる<負のエネルギー>を吸い取って、星を滅ぼそうとしている」とか!(笑) 
これは一例ですが、歴史修正がどうとかいうのとは別次元で、ぜんぜん違う何かの目的を政府が持っているのではないかという予想をします。 
なんかソレっぽいゲームがあった気がする。 

となれば、「歴史を修正する戦い」自体に全く意味はなく「徒労ではないか」と三日月が言うのも頷けます。 

検非違使の姿が「刀剣男士に似ている」とゲーム7面で言及されることから、戦い続けることによって――つまり「タイムリープを繰り返しすぎる」と、刀剣男士は検非違使のようなものになって行くのではないか、などと考えます。 

(余談ですが、 
検非違使は、時間転移を繰り返す者を罰するために襲ってくるのではなく、 
「自分と同じようにならないため、救うために斬りに来る」のだったら、なかなかに熱いです) 

もしかして悲伝の三日月は、検非違使になる直前くらいまで来てたのではないか。 
そのカラクリを見せないために、政府は刀解を命じたのではないか。 
さらに言えば、鵺率いる時間遡行軍が本丸を襲撃するように手引きしたのは、もしかして政府そのものなのではないか、くらいの疑いは予想の範囲内です。 

悲伝では三日月が「結の目(歴史の糸がからまる特異点)」であるとされていますが、この真偽はちょっと保留とします。 
というのは、上記の理由等から「政府が都合よく嘘をついている」可能性があるから。 

仮に三日月自身が「結の目」だとしたら、三日月がそれを自覚していないはずがない。 
あんなにタイムリープを繰り返しているのですから。 
「結の目」だからこそ「敵を本丸におびきよせてしまった」ということを自覚しているのならば、彼の性格なら本丸を守るために、敵の襲撃前に「自ら折れる」ことを選択しそうなものです。 
(もしかしたら何度か選択済みかも知れませんが…。そのたびにまた顕現してしまったのかも知れませんが…) 



★三日月と足利義輝 

三日月がしきりに「俺は使ってもらえなかった」と言いますが、これは別に恨んでいるとかではなく、正しく足利義輝の意図を理解して「いわば血を流さぬ刀としてあろう=平和をもたらしたり、大切な仲間を守るための刀としてあろう」と、自ら生き様を選んだのではないかと思います。 

「不殺(ころさず)の刀である三日月宗近」という言い伝えはとても好きなので、こちらの伝説を刀ステが選んでくれたことは、個人的に嬉しく思います。 



★ラストシーンとタイムリープ 

ステ本丸で三日月が刀解された後、鶴丸や不動がまったりと茶を飲んでいるのは、「三日月へのリスペクト」だと思います。 
鶴丸はお茶より驚きが好きな性分で、彼がお茶の話題を出すときは「三日月を助けるとき」です。不動は言うまでもなく、甘酒が大好きです。 
そんな二人が、鶯丸のようにゆったりお茶を味わっていることに、ほのぼの感というよりは、寂しさや切なさを感じました。 
でも、だからこそ、この本丸は、三日月がいなくなった傷跡を何とか乗り越えようとしているようにも見えました。 

そして、鶴丸のセリフ「今日はどんな驚きが待ち受けているかな?」からの―― 

三日月の再顕現。 
しかも、EDが虚伝の『真影の炎』。 
ここでまた歴史が繰り返されたのではと思いました。 

驚きの再顕現であり、(時間が戻るので)驚くことも許されない再顕現です。 

「予想しうる出来事だけじゃ、心が先に死んでいく」 

何度も同じ歴史を繰り返しているために、もう「驚こうとしても、驚けない」、つまり「心が死んでいる」状態になっている三日月がまた、顕現してしまう。 
円環の日々が、また始まってしまうように見えました。 

結局なにも解決していないのです。 



★救い 

一見、救いのないシナリオに見えますが、「刀解された三日月が過去に復活している」と考えると、 
実は誰も「折れて(消滅して)いません」。 
三日月だけがこのまま戦線離脱してしまうと(=刀ステにもう登場しなくなると)、ファンとしては非常に寂しいので、個人的には(不謹慎ともいえますが)よくぞ円環を繰り返してくれた、という気持ちも実はあります(^^; 

時間が繰り返される以上、今後またこの本丸を救うきっかけは見つかるかも知れない。 
「鶴丸視点の考察」(https://twitter.com/yuyatta/status/1004710789352050688)でも述べましたが、 
「黒鶴丸」や「鵺」といったイレギュラーな存在がある以上、まだまだやり直しがきくのです。 

三日月には何度も過酷な運命を背負わせてしまいますが…。゚(゚´Д`゚)゚。 
早く色々なことが解決して、皆で幸せになってほしいです…! 



★今後の展開 

今作は結びの一作​なのか? 
「結びとなる作品」とか「集大成」と言われています。 
集大成なのは間違いないですし、結びだと解釈もできますが…。 

「一区切り」ということは出来ても、今までの刀ステ(序、虚、虚再演、義、外、如、恕、悲)をひとまとめにして見たら、 
どうにも私には「壮大なプロローグ」にしか見えないのです。 

ようやく「実は三日月がタイムリープしていた」という問題提起が出来たばかりで、なにも解決していない。 

・三日月が何と戦っているのか? 
・三日月が何も語ろうとしないのはなぜなのか? 
・三日月がなぜ「結の目」になったのか/そう呼ばれるのか? 
・検非違使や時間朔行軍の正体とは? 
・時の政府とは一体どういうものなのか? 

三日月宗近が時間を司るような逸話があったかなと思い、一応調べてみましたが、私には見つけられませんでした(ご存知の方がいらしたら教えて下さいませ…!) 

実は、謎は提起されただけで、何一つ明かされていません。 
パンフを見ても、末満さんが「どこまで書いていいのか悩む」というようなことをおっしゃっているので、たぶんこの先の、より深いところまで、刀剣乱舞という作品の原作は設定されているはず。 

恐らくこれらの真実や謎が語られるのは年単位なのかなあと勝手に思っているのですが、結局は私達ファンの応援にかかっているのかな、と。 
どこまで描けるのか、確たることはまだ言えないけど、出来れば「この先を作ることを許されたい」と、スタッフの皆様は考えておられるのではないかな、そうであって欲しいな、という気持ちです。 
頑張って応援しますので…! 


と、予想しておきながらアレですが(^^; 
本当に今作で一区切りになって(三日月宗近編、終了みたいな)、次回から全く別の本丸の話が始まるのかもしれませんが…。 
その場合は、いずれ両方の本丸が協力し合うとか影響し合うとかして、非伝の三日月を救い、様々な問題を解決して欲しいと願いますm(_ _)m


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